ト ラ ウ マ 返 し
NPO法人『いじめSOS』理事長・臨床心理士 小野 修
ご紹介いただきました小野です。今日は皆さんお忙しい中、人生の貴重な時間を割いてご来聴頂きまして有難うございます。
『いじめSOS救急隊』は、非常に貧乏所帯の中を、今年度は丸亀と高松で2回講演会をやろうということになり、講師謝礼金がないからお前が講師をやれということになりました。今日の演題は、『トラウマ返し』という聞き慣れない言葉ですが、それは去年の秋に出版した私の著書の題名を、そのまま取らせて頂きました。私がカウンセラーとして力をつけさせて頂いたのは、相談においでた方々から学んで自分が成長するという道をたどって来たからです。それが最も真っ当な道だと、私は今信じられるようになりました。 これからお話することも、難しい本を読んできた内容を皆さんにご紹介するのではありません。私の所に相談に来てくれた方々が、命をかけて、苦しい人生を生き抜くために、それこそ血と涙で紡ぎだした生きるための知恵を頂戴した、それを皆さんにお分けする、そういう意味でお聞き頂ければ幸いです。
T.親が子どもに与える『心の傷―トラウマ』先ずは、「親が子どもに心の傷を与えるなんてとんでもない!」と思われるかも知れません。しかし、「子どもの心に傷を一番沢山、しかも大きな傷を与えているのは親ではないか。」と言えば、皆さんはそれを否定されますか、それともそうかも知れないなぁと考え込まれますか?
1.偏愛によって与えるトラウマ ― あなたは、子どもが同じように可愛いか?
皆さんは自分の親から、他の兄弟と同じように育てられたと、今感じていますか?「イエス」といえる人は、世にも稀なる幸せなお人か、世にも稀なる鈍感なお方か、あまりにも悲しいから自分で嘘をついて打ち消しているかの、どれですか?次に、皆さんはご自分のお子さんを同じように可愛がることができていますか?同じように可愛がっていると思われる方は、「自分の生の人間らしい感情を押し殺してはいないか?」もう1回考え直してみませんか。
1)親の愛情確認に耐えられるか?
子どもたちは親が大好きです。特にお母さんが大好きです。親がいないと生きていけない、だからその親から本当に可愛がって欲しい、そこで常にいろいろな形で親の愛情を確かめようとします。お子さんが何かの機会につまずくか、自分が親の期待に応えられないなぁと感じると、特に激しく、親の愛情を確かめざるを得ません。子どもが親の愛情を確認するという何か難しそうなことには、沢山の形があるのかと思っていましたが、案外少なく、4つのパターンに整理できるのです。
(1)自分のためにどれだけお金を使えるか?
これは非常にお金を大切にする価値観をお持ちのご両親の場合には、子どもはこの方法を使ってきます。
(2)自分の頼んだことを直ぐしてくれるか?
「あぁ忘れとった。こんどなぁ。」というような調子では、親が自分に愛情があるとは感じてもらえません。
(3)自分の話をどれだけよく聴いてくれるか?
これをやられるときは(2番目もそうですが)、親が最も忙しいときです。そして確かめられます。「お母さんが今からしようとしていることと、私とどちらが大事?」と、こういってくるのです。
(4)他の兄弟よりも可愛いか?
一番面倒なのは、他の兄弟姉妹よりも余計に可愛がって欲しいいうことです。これは非常に難しいのですが、本当に一生懸命になっているお母さん方やお父さん方の話を聞いておりますと、ちゃんと、やれているのです。例えば3人の子どもの皆が、お父さんやお母さんは自分を一番可愛いと思ってくれていると信じてもらえるような手品を使うことができますか?これはまさに手品です。それどうすればできるかというハウツーは通用しません。「本当に子どもさんのために一生懸命になれると、できる!」としか、言いようがないのです。
2)自分の生身の感情を直視できますか?
ところが、悲しいかな、私たちは生身の感情をもった人間です。子どもが2人なり3人いれば、より可愛い子と、まぁちょっとそうでもない子ができるのは、やむをえないかなあ。でも、やはりその偏愛をモロに出して子育てをしていたのでは、これはとんでもないことになります。どうしてもその弊害を少なくする努力はしなければいけない、皆さんはどのような努力をされているでしょうか?生身の人間としての感情の怖さを見つめることができますか?それとも世間並みに、“同じように、私たち夫婦が生んで、同じように育てた子どもなのに、なぜこの子はこんなんだろうか?”というように、思ったり、言ったりし続けますか?私は、そこから早く抜け出して欲しいなと思います。
2.親の 願いの押しつけが生む子どものトラウマ
次に子どもを傷つける大きなものは、親の思いとか願いを子どもに押し付けること、これが最近非常に大きいかなと思います。最近の新聞とかテレビをにぎわすような大きな事件の加害者となっている若者たちには、この類の親から受けた大きな心の傷をもった被害者が多いかなあと思います。多くの親が、自分の果たせなかった夢を、子どもに実現させて、それを果たそうと期待をします。このような期待は、これはもう親であれば抱かない人はいないでしょう。けれども、それをどこまで、どう子どもに押しつけるのか?私は、親の願いと子どもの人生は別のものだろうと思っています。
3.親の『高学歴=高福祉信仰』が生む子どものトラウマ
それからもう1つは、“子どもに高い学歴さえつけてやっておけば、子どもは一生幸福なのだ”という神話です。それによって子どもを一生懸命に駆り立てる。その被害を子どもはモロに受けている。私が相談を受けて、最も悲惨なのは、『高学歴=高福祉の神話』を信じる親は、人づき合いが下手でも、社会性がなくっても、勉強さえできればいいのだと、一生懸命勉強させる。勉強ができたらもうそれで安心してしまって、他のことは全部おろそかになってしまった、その結果が生んだお子さんの悲劇です。どうなるかということですが、いくら小中学校で勉強ができても上には上がるとあると知ったときの挫折感があります。あるいは学歴に人間としての人格の発達が伴わないと、必ずどこかでつまずきます。一度つまずくとすごく大変で、場合によると悲惨な結果を招きます。私は、相談を受ける立場上、そういう親子を沢山見てきました。
4.子どもの安全を守らない親が、子どもに与えるトラウマ
4番目には子どもの心身の安全を守らない、守ってやらない親、これくらい子どもを傷つけるものはないということです
1)子どもの安全を守る親であってほしい
先日、徳島文理大学時代の教え子が手紙をくれて、「先生の本買って読みました。」と書いてきてくれた。そこまではよかったのですが、「一番印象に残ったのは、先生のお父さんが天秤棒を担いで先生をいじめた子の所へ怒鳴り込んで行ったという、あれが一番印象に残った!」といわれ、他の所ももっと読んでよと言いたくなりました。だけど、「やはり、その学生も、あぁ親から守ってもらえなかった心の傷を抱いて大きくなっていたのやなあ。」と思うと、納得できました。そこのところに引っ掛かったまま大きくなってきているから、そういうことに少しでも触れると、その人の心が飛びついてきたのだと、理解したのです。今度会う機会があれば、その学生とそんな話もしたいなぁと思っているのです。
2)子どもが不登校になれば、先ず、“いじめ”を疑え!
次は私が昭和30年代中頃から、ずっと不登校(『学校嫌い』、『登校拒否』といわれた時代から)のお子さん、親御さんとのお付き合いをしてきました。一番初めには、「あー、この子だったらいずれは社会不適応を起こして学校へ行けなくなるだろうなあ。」というような子どもたちから不登校になり、時代の流れと共にだんだん強い子どもたちが不登校になり、1994年には文部省も、「どの子が明日から不登校になっても不思議ではない」といわざる得なくなってきました。ところが、さらに学校状況の悪化が進むと、「学校に行けないようになる子どもたちは、全部いじめの被害児だ!」と、一般の子どもたちがいうようになりました。「いじめられているから、子どもが学校に行けなくなっている。」と疑って対応する、あるいは、子どもが学校に行き渋り始めたら、必ず『いじめ』がないかどうかを点検するのが、学校や親の義務なのだと思うようになりました。親が、『いじめ』の被害から自分のお子さんを守るためには、何よりも先ず、子どもさんの言い分を100%信用すること、そこから出発することです。そのとき、先生が、「あの子がそんなことを言うはずがない」とか、「あの子たちがそんな事をするはずがない」というようなことは止めてもらわないと、不登校児たちは危ないということです。このような場合に、「本当にいじめられているにもかかわらず、親が自分を守ってくれなかった!」いうように、子どもに思わせると、その心の傷は一生を左右するほど大きな傷になって残るということだけは、いくら強調してもし過ぎることはないのです。私が、なぜそういうかといいますと、その心の傷のために、「もう動けない」、「社会に出て動けない」、あるいは「心の健康を損なっている」というようなケースが、最近ぼちぼち私の所にもちこまれてきております。
3)親の最大の役割は、子どもの心身の安全を守ること
ここで強調しておきたいのは、親は子どもの勉強ができるようにすることよりも、とにかく先ず出発点は、最大の役割は、『子どもの命、心身の安全を守る役割』、これを捨ててはいけないということです。これは、学校の先生方にも同じことが言えます。私は、『いじめ』を一番適確に解決したお父さんを覚えています。その子のお母さんはお子さんが通っている中学校の先生で、息子さんが『いじめ』を訴えても、やはり学校の立場に立って、“お前にも悪いところがあるのだろう”とか、“いじめはたいしたことないのに、あんたが弱いからいけないのや”ということで、お母さんは納得してしまった。けれども、お父さんは会社員ですから、絶対納得できなかった。そこで、お父さん一人で学校へ行って、「うちの子を『いじめる』子どもたちに話がしたい!」といったところ、学校側は、「学校の中では困る」ということだったので、父親は、「じゃあ学校の外でやる」ということで、次の日、校門で待ち受けておりまして子どもから聞いた名前の友だちを片端からつかまえて、「これからうちの子をいじめたら承知せんぞ!」と、相当きつくやったそうです。それで『いじめ』はピタッと止んだ。私がこれまでに見た一番見事な解決でした。
U.子どもの『心の傷―トラウマ』を、親がどう癒すか?
次は、それではその子どもの受けた心の傷を、親なりだれかに引き取ってもらう。そうして生き直す。元気に生き直していく。そのためにはどうするか、ということです。
1.親が子どもの話を聴く力をつける
先ず、私が親御さんたちに一番して欲しいことは、聴く力をつけて欲しい、子どもの話を聴く力をつけて欲しいということです。
1)親が聴かないから、子どもは話さない
親が子どもの話を聴く力の度合いに応じて、子どもは親に話を持って来てくれるかどうかが決まるのです。お子さんが不適応になった場合に親御さんがよく言われるのが、「子どもが何も話してくれない。どうしてこんなになったかわからない。だからどうしていいかさっぱりわからない。」というようなことを言われます。私は、今でも不登校の子どもをもった親御さんたちの勉強会を、今年でもう30年続けて、高松と自宅で月2回ずつ親の会を持っておりますが、そこで沢山のことを親御さんたちと一緒に学びました。その中でも、非常に大事なことの1つが、『親が聴かないから子どもが何も言ってくれないのである』ということです。『子どもが親に何も話さないのではなくて、その前に、子どもの話に耳を貸さない親がいるだけだ。』ということが解ってきました。だから、「親が子どもの話を聴く力をつけるにつれて、子どもは沢山話してくれる。」、「親の聴く力は常に子どもから試されている。」ということです。
2)『聴く力』は、これからのあなたの人生を幸せにする!
さっきご紹介いただきましたように。私は、『カウンセリング基礎講座』を開催しておりますが、そこでは午後は全部『演習』ということで、小グループに分かれて、話したり、聴いたりする練習を毎回やってもらっています。
前回こんな話が出ました。「私は、これまでなんと人の話を聴かないで生きてきたんだろう!よくもこんなに人の話を聴かなくて、今まで生きて来られたものや!これからの人生、人の話をよく聴こう!」という風な話が出ました。人の話を聴くか聴かないかによって、これからも皆さんの人生を大きく変えるでしょう。親と子の関係を変えるだけでなく、大きく人生を変えるのでないでしょうか。
3)親が、『聴く力』をつければ、子どもは話してくれる!
これは、私が何回も何回もいろいろな所で話をしているエピソードです。ある夕食の食卓の後、お母さんが二人のお子さんをつかまえて、「あんたたち、非常に無口やと小さい頃から思っていたけど、今頃あなたたち、よう喋るようになったなあ。」というように、感慨深く言った。(一人は不登校、一人は少し非行傾向のある二人の子どもさんを前にして)そう言った。ところが二人が口をそろえてこう言ったと言うんです。『お母さん、何言いよるんな。お母さんは、前には私らの話を全然聞かなかったやないの!この頃は、お母さんもいろいろな所に行って勉強して、少しは私たちの話を聞くようになったから、私たちも少しは話してあげているだけやないの!』こう言われたそうです。それと同じように、例えば、“男の子は、もう年がいったら親には何も言わなくなる。”とか、“中学生にもなったら、男の子は母親には何もものいわない!”とか言われますが、これは嘘です。親の方が、子どもの話をだんだん聞かなくなる、子どもの住む世界の話を聞く力を親がもてないだけだと考えてください。
2.親が子どもの話を聴く力をつけると、どうなるか?
では、その親が聴く力を身につけると子どもはどうなっていくのでしょうか?
1)『トラウマ返し』が始まる!
最も良い関係ができれば、子どもが記憶をさかのぼれる限りのところまでさかのぼって話してくれることになる。その内容のほとんどは、親から受けた心の傷、親に対してずっと抱いてきた不平不満を、ぶつけてきてくれる、話してくれる、こういうことです。それを子どもが始めるには、「お母さんは、この頃、大分私の話を聴くようになったから、これくらいの話しをもっていっても大丈夫かなあ。」と、恐る恐るもってくるのです。その恐る恐るもって来たのを聴く姿勢があるかないかは、子どもには直ぐ分かります。だから、その聴く態度を観につけると、子どもの側は続けて話を出してくれるのです。
2)『トラウマ返し』を受け取ると、心の傷はなくなる!
一番集中して聴いたお母さんの話があります。そのお子さんのお話は幼稚園のときから始まりました。お母さんが、「もうそろそろ寝ないと明日の仕事に差し支えるなあ。」と考えて、12時ごろ寝ようかなと思っていると、お子さんが、「お母さん、ちょっと話があるから僕の部屋に来て。」ということで、2階へ呼ばれました。そこで、幼稚園のときから中2のそのときまで、ずうっと、お母さんから受けた心の傷、ひどい仕打ち、お子さんにとって辛かったことを、話した。最初の晩、ふと気がつくと、東の空が白みかかっている、少しでも寝ないと明日仕事に行けないからというので勘弁してもらって、寝た。その次の晩もそれが続いた。それが丸1週間続いたのです。それが終わると、何か憑き物が落ちたように、その子は元気になり始めたということです。だから、今までずぅっと心の傷、重荷を背負っていたのを、お母さんが覚悟を決めて、仕事よりも何よりも、お子さんの話すのを徹夜で聴き続けた1週間、それで子どもが元気を取り戻した、これが一番典型的な例です。しかし、なかなかこうはいかないのがほとんどの場合です。お子さんは、それを小出しにしてはお母さんから生半可な扱いをされて、シュンとなってしまう。また、しばらくして小出しにして、また同じように受け取ってもらえないで・・・・・、というそれを延々と続けていると、お子さんはなかなか元気にはなってくれない。
3)『トラウマ返し』を引き取るのは、育て直し!
こういうことは、親側から見れば、幼稚園・保育所の時代までさかのぼって子どもの話を聴くという形で、子どもを育て直すという意味があるようなのです。ただ、きちんと聴いてきちんと対応できないと、その育て直しにはならないのです。
4)『トラウマ』を抱えた大人たち
そういうように、心の傷を誰かに聴いて引き取ってもらわなければいけない大人も、沢山いるようです。あるいは定年を過ぎた老人にも沢山いるようです。私の知っているある中年のご夫婦、お子さんはおそらく小学生か中学生だったのですが、ある日1日夫婦だけで県外へ車で遊びに行った。どういうきっかけで始まったか分からないのですが、二人で車に乗って出かけて帰るまで、観光そっちのけで、ご主人は自分の母親のこれまでの不平不満をしっかりと話してくれた。それまでは嫁姑関係が悪くても、ご主人はどちらかというと自分のお母さんの方につく立場だったので、奥さんの方がびっくりしてしまった。けれども、とにかく一生懸命に聴いた。そういうことで、夫婦関係が随分と良い方向に行ったということです。それから更に60歳過ぎても、そのような『トラウマ返し』ができた例があります。そのお家も嫁姑関係がうまくいかなかった。ご主人が60歳の定年を過ぎて、いろいろと経過を経て、それでやっと自分の母親に対する小さいときからの不平不満を、奥さんにしっかり話すことができた。それから、「本当に今から初めて夫婦らしい心の通い合う夫婦になれたなあ。」というように、奥さんの方は感じられたようです。
5)回想療法
最近では、そういう過去を語るのを、もっと年を取った老人に、もっと生き生きとなってもらうために、その老人の一生を、カウンセラーと共に振り返ってもらって、例えばアルバムを観ながらなど、ずぅっと一生のことを語ってもらう。それで老人の心を生き生きしてもらおうというような回想です。 子どものように、自分の人生を振り返ってみることで、老人の生き生き感を得るのを援助しようという心理治療法も、あちこちで行われ始めているようです。
6)結語
人間は誰しも小さいときから親だけでなくていろんな人から与えられた心の傷を沢山抱えてそれをいっぱい背負っています。それが大きくて、もう生き辛くなって、へとへとになって人生を生きているから、それをしっかりと聴いてくれて、その心の傷を引き取ってくれる人が必要です。それは、子どもの場合は、母親であるのが一番いいなあと思います。あるいは夫婦であれば、たいていは先ず奥さんがご主人の心の傷を受け取る、それができない場合はカウンセラーなどが、そのように心の傷を受け取ると、受け取ってあげれば、あるいは受け取ってもらえれば、過去を生き直すということができるのです。過去の心の傷、荷物をそちらに預けることができる。そうすることによって、人間は現在と未来を生き生きと生きられる。そう言ってもいいかなあと思うのです。皆さんは、だれかご自分の心の傷を安心して語れる相手がおいでますか?そんな知り合いをお持ちですか?是非それを探して頂きたい、そういう場所を探して頂きたい、あるいはそういう役割を家族の中でだれかが担って聴いてあげる力をつけて欲しい。そうすることがこれからのあなたの人生を生き生きと生きられることになろうと思うのです。
2.子どもの『トラウマ返し』を拒否しないで!
ところが、お子さんが『トラウマ返し』に来た、折角子どもが勇気を振り絞って、親に『トラウマ返し』をしようとしても、拒否する親が多いのが実情ではないでしょうか?ラジオの『教育相談』の番組で聞いたことがあります。女子大生が、泣きじゃくりながらラジオで相談していた。自分の心の傷をお母さんに返しに行った。お母さんから傷つけられたことを持って行ったら、お母さんから受け取りを厳しく拒否された。そのお母さんの言い分はこうなのです。「あなたの話を聞き入れたのでは、私の良い母親というイメージが壊れてしまうじゃないの!とてもあんたの話なんか聞けない!」いうことで、突き放されたと、泣きじゃくりながら訴えておりました。
このように、子どもが、「お母さんはこんなにひどかった!」とか、「私が、○歳のとき、お母さんは私にこうこうしたじゃないか!」というようなことを、もって来られる。すると、それは良い親を一生懸命やってきたと自負している親にとっては、とても辛くって耐えられることではありません。更にその親が教育者であったりすれば、『良い親のイメージ』が壊れるばかりでなくて、『良い教育者』としての自分のイメージが壊れてしまう。そういうことで余計受け取れない。ある教育相談においでたお母さんが言われるのですね、「先生、うちの子は異常じゃないかと思うのですけど、診てくれませんか。」、「この子ったら先生、何年も前に済んだ昔のことを、細かいことをじくじくいつまでも私に言って来るのです。これ、おかしいのではないですか?」こういうお母さんは、折角お子さんが『心の傷―トラウマ』を返しに来ているのに、そのお子さんを異常扱いしているということことなるわけです。よく親御さんたちは子どもが異常でないかと心配される場合が多いのでが、それは、「親の常識では理解できない、できにくい行動や言葉がある」から異常でないかというのであって、それをカウンセラーなり誰かに話してみれば、「それはこういうことではないのですか?」ということで、理解して説明できる場合には、異常とか病気の不安に襲われなくて済むのではなでしょうか。大体、子どもが返してくる『心の傷−トラウマ』というのは、親はその場面を全部忘れています。親は全く忘れている、しかも、“なぜ、今、そんな細かなことを言わないといけないのか?”というような、非常に小さい事なのです。親にとっては、忘れてしまっている、ほんの小さな事であっても、子どもにとってはずうっと持ち続けている大事な事なのです。このズレが大きいから、親はなかなか聴けない。そこで、子どもの心の傷を親が受け取るのを拒否したり聴けなかったりする場合は、子どもは更に心の傷を受ける、そしてさらに心の傷を大きくされたままで引き下がらざるを得なくなるのです。「こんな偉そうなことを言っているお前はどうなのですか?」という事になるかもしれません。私は、特に今よりもずっと未熟だった頃には、長女に随分心の傷を与えたようです。今、今と言うか、ずっと前からこんなに言い続けられています。「お父さんは、よその子のために良いことをしているらしいことは認めるけど、お父さんはうちの子のためには何してくれたの、何もしてくれなかったやないの!それだけでなしに、もっとひどいことをいっぱいしたやないの!」と、こう言って来る訳です。大分それでやられましたけれども、今のところは、「だけどな、お父さんは今病気やからな、もうこのくらいにしといてあげるわ。」ということで、今はまだ執行猶予中なのです。
3.親はどうすればよいか?
次は、じゃあ、子どもが親に心の傷を返しにきたときに、蹴散らして子どもの心の傷を倍にして返すというようなことをしないために、親はどうすればいいのだろうかということになります。
1)親の辞書に、「親は子どもの話を聴かないといけない」を加える
先ずは皆さんの中にある辞書の中味を変えていただきたい。「親は子どもに言い聞かせるもの」ということしかない場合は、「親が子どもにいい子に育つように、良いことをいっぱい言い聞かさなければいけない。」というだけしかない親の辞書に、もっと付け加えて欲しいのです。そして、次には、「もっとお子さんの話を聴いてあげてください。」ということになる訳です。ある非行少女のお父さんに、児童相談所の私の同僚の児童福祉司が、「お父さん、もっとお子さんの話を聴いてあげてください。」と言ったところが、そのお父さんの答えは、「先生なに言っているのか!そんなことしていると、銭がなんぼあったってたまらんがな!」でした。このお父さんの言葉からは、どんな親子関係が想像されますか?この親子のどのような会話が想像されますか?子どもからは、「お父さん、お金ちょうだい!」 お父さんは、あるときには「ホイ、ホイ。」といって与える。あるときは、「そんな銭はない!」という、それだけしか会話がない、それだけでつながっている父親と子どもという関係が推察できますね。
2)「聞いてやる」から「お聞かせ頂く」へ
次には、私は最近ある親御さんたちとよく話していると、「そしたら先生、子どもの話を聞いてやらないかんのやなー。」と、こう皆さん言われるのですね。私は必ずそれを訂正することにしています。「聞いてやるのではありません。お聞かせ頂くのですよ。」と、です。よろしいですか?「お聞かせ頂く」のであって、「聞いてやる」のではない、そういうことです。それをカウンセリングの言葉では、『傾聴』というのです。「耳を傾けて聴く」、「心を傾けて聴く」ということです。
3)『傾聴』から『敬聴』へ
でも、それだけではいけないのです。私はもう1つ最近新しい言葉を創り出しました。『敬聴』ということです。すなわち、「相手を敬って聴く」ということです。だから、『トラウマ返し』という形で、これまでの親のあり方は間違っている、いけなかったのだと注意してくれるお子さんの言葉に、「敬意を払って耳を傾けて聴く」、そういうことを提案しております。このことは、相談に来て下さった方に対するカウンセラーとしての私の態度も全く同じ事なのです。最初にも少しいいましたように、私は大学4年が終わると、田舎に飛んで帰りました。都会で生きていく自信がなかったのです。それから神経症の一つの『赤面恐怖症』で、人の前に立つと顔が真っ赤になってものが言えないというような状態に苦しんでいました。それが50年たつと、こんなに厚かましくなれるんですね、不思議なものですね。
4)来談者から学んで成長する
私は、大学卒業後、田舎へ飛んで帰りました関係で、臨床心理士としての仕事をしていく上でのお師匠さんが身近にはいない。それでは大都会へせっせと足を運んで勉強すればいいのでしたが、そうするのも何かタイギで出不精でした。そこで、「私の先生は相談に来てくれるお母さんや子どもたちだ!」ということに腹をくくった。そこから私は随分成長させて頂けたかなあと思っております。皆さんも、お子さんから、「お母さんはひどいお母さんやった!私が○○歳のときに、何年生のときに、こうしたじゃないか!」と怒鳴り始めるとか、「お父さんはひどいお父さんだったやないか!いついつ、お父さんは、私にこうしたでないか!」と食ってかかるとか、「こうこうしたときに、こうこうしてくれなかったではないか!どうしてくれる!」みたいな話をもって来たときには、親は本当に素直に聴いてあげて欲しいのです。どんなことをしていても、すぐさま手を止めて、手を置いて、聴いてあげて欲しい。聴いてあげたときに、自分の中に、心の奥底から聴こえてくる自分の本音の気持ちに、心から素直になって欲しい。「自分のすることもできていない子のくせに、親に向かって何たることを言うか!」みたいな言葉は、この際、ちょっと横に置いて欲しい。子どもというのは、親を本当に大好きで、大好きで、大好きで、親がいなければ生きられない。例えば学校に行けなくて何年も家に閉じこもっている中学生が、あるときお母さん言いました。ぽつんと一言、「お母さん、長生きしてなー。」そのお母さんが親の会に来て、「先生、うちの子もやっと親孝行な気持ちが育ってきました!』と、報告してくれました。私は、「それは良かったですね。だけどお母さんが聞かれたのは、『長生きしてなー』という一言でしょう。その一言が出て来るまでに、お子さんは何日も何日も、考えて考えた末にいった一言じゃないでしょうか?もう少し一言の背景を、沢山聴いてあげませんか。」というような提案をしました。 そうすると、次に来たときにそのお母さんが言われるには、「先生、大きな背景がありました。あの子は、『今のままでは自分は一生働けない。今の状態では働けない。働けないとしたら収入はない。お父さんやお母さんが死んでしまったら自分は飢え死にするしかない。だから、自分が長く生きるためには、お父さんやお母さんに少しでも長生きしてもらわないといけない。そこの所を一生懸命に何日も何日も考えた末の一言だった訳です。そういうように、常日頃あまりものを言わないお子さんが一言でもポツリと言ってくれれば、もっともっと背景を聴くことによって、お子さんをより深く理解できるのでないかなぁと思うのです。
5)親は子どもに謝れるか?
本当にお子さんのいってきたことに素直に耳を傾けると、親は、「子どもにはすまないことをしている!」と、思わざるを得ません。「これは子どもに謝らないといけない!」と、頭のどこかでそういう思いがかすめます。その人間としての本当に素直な気持ちにしたがって親が行動できるかどうか、そこが親と子の本当に良い関係をつくって、これからの人生を幸せなものにできる出発点のように、私は思います。でも、親が、「子どもに謝らないといけないなあ。」と思ってから、実際に謝るまでに2年かかったというお母さんの報告を受けたことがあります。「先生、2年もかかってやっと先日子どもに謝りました。」と、お母さんが報告してくれたことがあります。親が子どもに謝るのは、本当に難しい。なぜ難しいのでしょうか?親が子どもに謝れば、親としての権威が失墜して、それ以後子どもは親の言うことを一切聞かなくなるのでないかという不安が、多分頭をかすめるかもしれません。しかし、決して親の権威は失墜しません!それどころか、むしろ子どもが親を尊敬してくれる出発点になるのではないかと、私は最近そう思っております。恥ずかしい話ですが、私も長男といさかいを起こしまして、結婚問題ですが、長男は3年位寄り付かない。一切電話もしてこない。私は、その間せっせと息子にラブレターを書き続けました。ラブレターの最後は、こんなだめな私でも、私の方は父親だと思っているのだという意味で、「これでも父より」と書きました。中身は、ほとんど謝りだったように思います。幸いなことに、この3月に私の隣の敷地に、息子は家を建てて一家で帰ってきてくれ、毎日孫の顔が見れる幸せな生活が転がり込んできました。今日も出かけて来るときにも、「おじいちゃん、行ってらっしゃい!」と、声をかけてくれて、非常に元気をもらって出て来ました。
6)親も、その親からの『トラウマ』を処理できていない
次は、特に『不登校の親の会』で、「子どもがその心の傷を親に返しに来ても、なかなかうまく引き取れない。どうしてだろうか?」ということを、皆さんと一緒にいろいろ考えているうちに、こんな話が出ました。「いやー、考えてみれば、私自身が自分の親からの大きな心の傷を抱えてきている。それが全然解決されてこないまま、未だに私は背負っている!だからうまくいかないのや!」というわけです。皆さんどうですか?皆さんご自身は自分の親から受けた心の傷を、今どれくらい背負っていますか?ゼロですか?山ほどですか?身動きできないほどですか?元気を失う程度ですか?どうでしょうか? ではそれをどうするかということですが、これが非常に厄介です。私の願いは、今こうしてご来聴下さった皆さんのご家庭で、親が子どもに心の傷を与え続けて、まだそれを次々と次の世代、次の世代へと送っていくのを、是非とも断ち切って欲しいと、本当に切に願います。どうするかというと、親は年が寄ってしまって理解できない。今さら言っても分かってもらえそうにない。何回かは言ってはみたが無駄だった。いやな気持ちが残るだけだった。などというようなことで、あきらめてしまうことになりがちです。
しかし、あきらめたのでは、自分と子どもとの関係も処理できない。あきらめないで分かってくれなくても、引き取ってもらえなくても、「お婆ちゃん、あなたから私はこんな心の傷を受けたのだけど・・・。」ということを言い続けて、親と子のまずい関係を続けますか?どうもそれも忍びない。それは余程親不孝なことになるではないかと思う。私は、今までそこまでしか分からなかったのですが、最近、ある方からこんなことを教えてもらったのです。それは、小さいときから親から受けた心の傷を、それを受けた場面を、頭に描いてみる。回想する、イメージを描く、その昔のそのときの私は、何も言えずに、親からやられて心の傷を受けっ放しだったけれども、本当は、あるいは今考えると、あのとき私はこう言いたかったのだと、こう反発したかったのだ、こう反抗したかったのだ、こうすれば心の傷を受けずにすんだのだ、お母さんにも分かってもらえたのではないか、というように、頭の中でイメージを描く。それを一つずつ自分の中でやっていく。そういうことを私に教えてくれたお母さんがあるのです。私は、その方からもっともっとその結果を知りたかった、教えて欲しかったのですが、最近県外に転出されてしまって非常に残念です。が、またいつかお会いできたときには、その続きを教えて欲しいなーと思っています。これは1つの『イメージ療法』という心理療法のやり方にも通じるかなと思うのです。ところが、親がまだ生きているうちはいいが、親が死んでしまっている場合はどうするか?これはもうどうしようもない。でも、ある方がこんなことを教えてくれました。「仕方がないから、仏壇の前に座って手を合わせて、頭の中でトラウマ返しをやるのだ。」と。あるいはさっきの『イメージ療法』みたいに、仏様の前で手を合わせて、目をつぶって、死んだお母さんから受けた心の傷の場面、そのときに本当は自分ではどうしたかったかなーと、そういうことをイメージするというようなやり方があるかも知れません。ところが、その親から受けた心の傷を、本に書いたり、講義をしたり、講演したりで、一生をぶちまけて、それで有名になっている早稲田大学の先生がいるようです。早稲田の高橋諦三という人の本を読んだことある人ありませんか?沢山本を書いているのです。この先生、学会には出てこないので、私はお顔を知らない。私の本を読んで、たまたま東京の近くのある市のお母さんから電話を頂いたとき、こんな話が出たのです。そのお母さんがその高橋教授の小中学校の同級生だって、中学校の同窓会で同級生の男の子たちが、「なんや高橋の奴、まだ親父の悪口を書いているのか!」という話が出たそうです。そのお母さんによると、高橋先生のお父さんも大学の教授で、随分立派な方のようで、高橋先生は直接そのお父さんと戦うことができない。だからそれをいっぱい本に書いている。ところが親から受けた心の傷で苦しんでいる若者はもう5万といる。その先生の本は非常によく売れて、親に心の傷を返せないで悶々としている若者が、心の傷を解消するのを手助けする役割を果たしている。こういう形で、親から受けた心の傷を、社会に役立てるという形で貢献をしている大学の先生もいるといえるでしょうか。他にももっといろいろな方法があると思うのですが、今までの話を聞いて、「あー、そうか。子どもの話を聞けてないのや!」、あるいは、「子どもが心の傷を返しに来ても、聞けなかったのは私だったのや!」、「私自身が、それが済んでいない、手がつけてないからだ!」などと、ふっと今、気がつかれた方は、それをどうやって解決していくかが、これからの課題ですよね。その課題を解決するための良い実践の経過を教えて頂ければ、私は非常に嬉しいです。どうかよろしくお願いします。
7)子どもから学んで親になる
次に、最後の項目は、「子どもから学んで親になる」ということです。「良い親になる一番の良い先生は子どもである」と、知って欲しい。そういう話を少しだけします。
(1) 来談者から学ぶ
私自身を振り返ると、私の親子関係もそうですが、私はカウンセラーとして・臨床心理士として、相談に来てくれた人から学ぶ」、そういうことがカウンセラーとしての最も真っ当な道ではないかと考えるようになりました。ただ、この考え方は、私の属している業界では非常に少数派どころか異端児なのです。なぜ異端になるかというと、私は相談に来た人から学ばせてもらっている、だから相談に来た人に相談料を請求できない, しないからです。
(2) 相談料はもらえない
そうでしょう、何でも教える方がお金をもらう、教わる方がお金を出します。これが対等以上に私が学ばせてもらっている場合には、本当は私がお金を払わないといけない。でもそれはご勘弁頂いて、せめて相談料を請求しなという形で、参加して頂いています。そういうことをしていると、カウンセラーという『職業』が成り立たなくなるということで、そういう仲間内からは相手にされない。そういうことです。ところで、カウンセラーはいろいろな学説を沢山学んで、いろいろな技法を身につけて、そしてそれを相談に来た人に当てはめて治すというやり方でないといけない、というのが、まあ主流派です。だから私は異端児もええところかなあと思います。
(3)何を学ぶか
では、来談者から学ぶ、相談に来た人からカウンセラーとして学ぶにはどうするか?それは相談に来た人から学んだことを、しっかり記録し、貯めていく。では何を学ぶかいうと、例えば『不登校児をもった親の会』では、よくお父さんの批判が出ます。協力しない、逃げている、堅い話しかしない、本音でものが言えない、いい父親はこうでなければならないという思いだけで子どもにお説教する、・・・。一番よく言われるのは、「父親は逃げている!」ということなのです。そういう話を聞かせて頂いくと、私はその場で直ぐ、「うちの家内は、私をどう思っているのだろうか?」、「うちの子どもたちはどう思っているのだろうか?」と、考えさせられます。「あぁ、そうか!こういうようにしないと親父は信用されないのだな、子どもから尊敬されないのだな、家内が困ってしまうかなぁ。」というように、そこで父親のあり方を学ばせてもらう。また、ときには父親代表・男性代表で、お母さん方からとっちめられる場合もある。「男性として小野先生の場合、どう考えますか?」というような調子で、皆さんからやられると、私は非常に苦しくて辛い立場になります。嫁姑関係の問題が出れば、私もその問題から逃げてきたなあと、思わざるを得ない。今でも家内からやられるのですが、「私が、お婆ちゃんからいじめられているとき、あなたは横を向いて知らん顔して逃げたじゃないの!」と、未だにやられております。「あー、すまなかったなー。」というしかありません。
(4)すごく大事なことを学んでいる!
つい先日も、ある来談者がこんな話をしてくれました。「私は今までずうっと自分を責めてきた。『自分はだめじゃないか、もっと努力しないといけないじゃないか、問題から逃げてはいいけないじゃないか、問題に前向きに取り組まないといけないじゃないか・・・。』と。そういうように、もう一人の自分が自分を批判し続けてきました。最近ふと思ったのは、『そういうダメな自分を批判している自分は一体何をしてきたのだろうか?』」というわけです。少しややこしい問題ですが、お分かりでしょうか?自分の中に二人の自分がいる。常に一人のだめな方の自分を批判し続けている自分がいますよね。その批判し続ける方の自分は一体何をしているのか、まぁ、そういうことですね。これは、私が人間のあり方を考える上で非常に大きな教えをもらった気がしております。それを私が今まで考えてきたことの中にどう位置づけるか、これからまたしばらく考えていかないといけません。直ぐにはその位置づけができないほど大きなものを、その方からもらったと考えております。 多分皆さんも、こういうように、職場でも、親としても、あるいは夫としても、妻としても、父親として、母親として、「これは良いことやなあ。」、「子どもから良いことを教えられたなあ。」と思いながらも、それを直ぐ記憶から消している訳ですね。私たちは、いろいろな人から沢山、本当に大きな大事なものを学びながらも、それをどんどん記憶から消してしまっているのです。それがどれ位貴重な大事なものであるかということすら気づかずに、どんどん、どんどん記憶から消している。これは、この上なくもったいないことです。
(5)『気付きカード』に書き貯める
それはもったいないではないですか。『気づきカード』、これよりもっと小さい(B6判)情報処理カードというのを既製品で売っているのですが、それに書きためるということを習慣づければ、自分がお子さんや周囲の人間から学んだことを書き溜めていける。そうすると、それはすごく大きな財産になるではないですか。私は、そういう提案をしております。この『気付きカード』は、私が主催している『カウンセリング基礎』講座の中で発展させてきました。そこで一つ困ったことができます。相談においでる方は、カウンセラーとしての私から何か良いことを教えてもらう、ハウツーを教えてもらって自分の問題を解決しょうと期待している。私の方は、相談に来た人から学ばせてもらって、『生きる知恵』みたいなものを沢山蓄えることができる。けれども、「なぜ相談に来た人が元気になってくれるのか?」ということが分からない、その疑問をどう解決するのかというのが、私の長年の課題でした。しかし、大体、その説明が出来かかりましたので、そのうち文章化して、皆さんにお届けできるかなあと思っております。
(6)子どもは親を観ている!
そういう来談者と私の関係を、子どもと親との関係に適用して考えてみましょう。今までの、“親はこうあらねばならない”、“良い親はこうあらねばならない”ということを、しばらく横に置いてみませんか。先ずこれを提案したい。何回も言っておりますが、子どもは親が大好きです。親なしでは生きられません。だから物心ついたときから、親のすることなすことを、全部ずうっと見ているのです。そうして親をきちっと評価している。親が言葉に出して言ったり、行動に現わしたりしなくても、親の心、親が今何を考えているか、今、自分に対してどう思っているか、自分をどうさせたがっているか、子どもはそれらを見事に読み取っています。だから、“子どもだからごまかせる”、“ちょろまかせる”、“言いくるめられる”と思うのは、全くの大間違いだということを、知っておいて下さい。
(7)子どもは、親の気持ちを察して言動を変える
だから、子どもは、本当に親の値打ちを正確この上なく、正しく間違わずに、見ております。親はそれをお聴かせ頂きませんか。そのためには、“言ってきてみなさい”とか、“聞いてやらんでもないぞ”という態度では、いけないのです。子どもを尊敬して、子どもがどれくらい親を正確に観ているか、感じ取っているかをお聴かせ頂くということです。県外からわざわざ私たちの『不登校児の親』という勉強会に通って下さった方がおりました。その方は、自分が臨床心理士のなろうと思って臨床心理士を養成する大学の大学院に入りました。そこで、修士論文のテーマとして、『不登校の子どもと親の関係』というテーマを提出しました。ところが最初の指導教授は、「あなたがこのテーマに取り組むのはまだ10年早過ぎるからだめだ」と、拒否されました。その方はひるまずに、指導教授を変えてもらって、そのテーマに固執し続けました。香川県の五人の不登校で長年戦ってきたお母さん方から、不登校の子どもの親子関係をお聴きして、各人5時間も録音テープに全部録音し、文章にして、親の変化と子どもの変化を対比する表を作りました。その研究の最後の結論は、「親の子どもの不登校に対する見方、考え方が少しでも変化すれば、そのことを行動や口に表さなくても、子どもはちゃんとそれを感じ取って、子どもの行動に変化が生じる。」ということでした。そのお母さんは、本当にこれで修士論文として認められて卒業させてもらえるだろうかと非常に不安ながら、修士論文の審査の場に臨んだ。そこで、比較的若い女性の講師、助教授の先生方から、意外な賞賛の言葉が出たのです。その女性の先生方から、「この論文を読ませてもらって、私の子育ての考え方を基本から考え直さないといけないということを学ばせてもらった。」と、高く評価され、男性の難しい教授たちからは声が出ずに、無事卒業できました。後日、難しい臨床心理士の資格認定試験にも一回で通りました。これくらい、子どもは親の自分に対する見方、とにかく親が子どもの自分をどう見ているかということを、本当に鋭く見つめていて、それによって、一言も言葉には出さなくても、自分の行動をそれに応じて変える、それが子どもだということを知って欲しいのです。
(8)直接子どもから学ぶ
もう一つ私が皆さんに提案しておきたいのは、子どもがつまずいたり不適応になったり、何か困ったりすると、皆さんは参考書を必死に探して読まれます。もう何十冊の本を買って来て読まれる、あるいはお医者さんを駆け巡る、ということが行われます。しかし、私の提案は、本とか、カウンセラーとか、医者とか、という所へ行くよりも、もっと前に、あるいはその人たちの本の中身、いろいろな専門家と言われる人たちの意見や考え方を、子どもと自分との間に挟まる邪魔物、『挟雑物』にしてしまわない、すなわち、「あの本にこう書いてあったから、その考えで子どもを見たらどう見えるだろうかなあ?」という、そういうのを止めた方が、どうもよさそうだということを提案します家内から、。河合隼先生のフィルターを通して子どもを見ない、精神分析の理論で子どもを見ない、交流分析の考えで子どもを見ない。そうして、直接子どもの生の言葉をしっかりと聴いて、心に入れて、親のあり方を学ばせてもらう方が、どうも役に立つのではないか。そういうようなことを申し上げて、私の下手な話をこの辺で一区切りさせて頂きます。