僕って 生きていても いいのですか

(『いじめ』をなくすって そんなにむつかしいのかな)

2006.1.28 於:香川社会福祉総合センター
日本教育カウンセラ−協会香川協会顧問

ポレポレ農園代表 松田 勝

私は、昨年3月で学校の現場を退職し、その後約1年と10ヶ月、『ポレポレ農園』で子どもたちと一緒に野菜作りをしています。『ポレポレ農園』という名前は私たちの農園に参加している子どもたちがつけてくれた名前で、アフリカのスワヒリ語で、「のんびり、ゆっくり」という意味です。私が、このような子どもたちを学校復帰、社会復帰に向けてお世話するきっかけは2つあります。
1.引きこもり、不登校、ニート、発達障害をもつ子どもたちが、どれほど苦しんでいるかという実態を、いろいろな相談を受けながら知っていましたので、家族・本人の苦しみをどうにか手助けしていきたいという思いでスタートしました。

2.今このような子どもたちに現実に行政を含めて手助けする組織が非常に少なくて現実的なものがないという実態を知り、それでは自分がしてみたら良いということでスタートしました。

社会や学校へ復帰するためには、新しい自分を作っていかないといけないから、時間も十分にいるし、待ってくれないといけないし、いろんな自信を、またエネルギーを蓄えないといけない。そういう経験の場が必要ですが、その場がないということです。

だったらその場を作って、そういう仲間の中で自分を発揮し、表現し、相手を理解して、自分に自信を持って、それでボランティアやアルバイトをしながら社会復帰や学校復帰を目指すという形をとればいと思ったのです。既にたくさんの子どもたちが、力をつけて去っていきました。ただ当初考えていたのと随分違いも出てきました。この農園を始めた時、私自身が農業は一切経験がなかったので、野菜を作るといってもどのように作ってよいか分かりませんでした。田んぼは全て20数年前の教え子たちの家から全部無料で拠出して下さり、現在は約1町で作っています。初めはほうれん草やトマトの作り方は何も分からりませんでしたが、やってみれば見事なトマトやキュウリが実るのです。農家の人が見に来て、「先生上手やなー。」と言ってくれました。

なぜかというと、周りのおじいちゃんおばあちゃんたち皆が、自分の田んぼへ行く前に私の田んぼの1つ1つの野菜を見てくれるのです。私が朝の7時頃に各田んぼを見回りに行くと、皆待ってくれています。「先生、今日これせんとだめよ。」、「野菜が水欲しがっているよ。」と言ってくれるのです。その通りすると良い野菜、美味しい野菜ができます。時々失敗もしています。

周りの農家の方が来てくれるのはそういう意味ではいいのですが、恥ずかしい失敗の評判でたくさんの農家の方が見に来られるのです。ある朝、西瓜畑に行ったら沢山の人がいるのです。「珍しい野菜作りしているぞ。」というので見に来ているのです。「西瓜の肥やしに牛糞の堆肥をやらないといけない。」と言われたので、私が一生懸命堆肥を1輪車に乗せて丸い西瓜に全部堆肥をかけていったのです。それを見に来ているわけです。それが、「珍しい肥やしのやり方をしとる田んぼがあるぞと、農家の評判になったのです。私は真剣にやったのですよ。「西瓜に肥やしをやれ」と言われましたから、全部の丸い西瓜が見えなくなる程に堆肥を盛っていったのです。本当は根っこの所にやらんといけないのに、私は余り考えずに全部の西瓜にやっていったのです。ところが、その田んぼを貸してくれているおじいちゃんとおばあちゃんが慌てて飛んで来たのです。「先生が恥をかいている。私も何も教えてあげてない。」というので、一生懸命片付けてくれでいたのです。でも、その年はおいしい西瓜が沢山できたのです。

それから、予想もしなかったことはが起きました。1ヶ月2ヶ月経つうちに、子どもたちが力をつけて色んなことを出来る状態になっていく、販売も手伝ってもらえる、1つの田んぼを任せたらしてくれて私は他へ出て行けると思っていました。始めた時は、子どもたち農園に来たときにどういう状態か?「さあ今日この作業するよ、草抜きするよ。」と言って始めます。私のいる間は子どもたち一生懸命しています。私がガソリンがないと思って買いに行って帰ってくると、農家の方が、「先生いくら言っても聞いてくれん。先生が出て行った時の姿のままで止まっています。」と、言われます。そのまま止まっているのです。私が帰ってくるとまた動き出しますから、私はそれが分かりませんでした。現実はそんな状態だったのです。農園では、1.仲間の中に宗教は入れない、2.政治も入れない、3.金儲けも入れない、という3つの規則があります。

それからお互いの約束事として、『全てを受け入れ、それから自分の意思で決定する。』『自信を持つ自分を作る』、『自分で決めて言える』、『行動できる子どもになっていくために、自分で決めて行く』ということを大事にしています。

子たちが、3ヶ月、半年たつと物凄く力がつきます。どんどん動けます。それまでは「さあ、堆肥をやるぞ!」と言うと、「臭いがいやだからしない。」と言って休憩に入ります。20人余りいる子どもたちが、「さあ作業に入るぞ」と言えば、3人しかいない。後の子どもたちは全部並んでいる。「草抜きするよ」言えば、ずらっと休んでいる。その子たちが3ヶ月、半年たつと、皆、田んぼの中に入って作業しているのです。また、ある子どもに任せられると思って販売先の所へ案内して、「ここへ毎週1回、売りに来る」ようにお願いして、行ってもらうようにしていくのですが、3ヶ月、半年すると、もうその子がいなくなるのです。力ができた子から、皆出て行ってしまっているのです。残っている子は、相変わらずまだまだ経験が必要な子ばかりになっています。だからいつも私が自分で動かないといけない。私は校長をしていましたけれど、辞める時はどれほど楽をしていたかなあと思いました。皆さんご存知ですか? 校長って物凄く楽なのです。学校中で1番楽なのです。それが農園を初めたとたんに10倍くらい忙しくなりました。朝6時頃から起きて農園へ出て行って、晩の10時頃までほとんど分秒きざみで動いていきますから、非常に楽しくて、忙しい毎日になったわけです。嬉しいけど、いつも力になる子には出て行かれてしまうというのが、実状でした。その中の1人の男の子が今日のテーマである「ぼく、生きていていいの」という相談をもって来ました。先ず、私のしてきたことを中心にお話したい。そういう意味では評論家でも理論家でも傍観者でもない、実際自分が、その問題の解決をする努力・実践をしてきた事についてお話したい。

それからもう1点は、今私が『ニート』や『引きこもり』などの問題解決のために、少しの力だけど頑張っている理由の1つは、そのような人たちがどれほどの数日本にいて、どういう問題があるのかへの思いがありました。今、『引きこもり』や『ニート』の人数は、概数しか分かりません。国会で約250万人いるんじゃないかとかいう質問が出たりします。実際つかめないのです。、調査をする機関が保健所とか1部の所に限られていますので、全体は分かりません。今日もここの5階で開催している『引きこもりの会』の人たちも1部しかつかんでおりません。でも200万とか、250万いう数の人たちが働けない、動けない状態でいるということなのですが、単純に計算しますと、今の日本の社会で15〜60歳までの働く年代の人が約6500万人位います。そのうちの今の数ですので、割ってみると今の日本は約35人に1人が働いてない、そういう国です。

『ニート』について少し具体的に知って欲しい。テレビや新聞や政治家が『ニート』の問題を取り上げる時の、それから画面に出てくる人たちは、いわゆる少数の人たちです。ほとんどの子どもたちは働きたくても働けない、学校へ行きたくても行けない、人が怖い、緊張して不安で自信がなくて出られない、そういう状態でいる人たちがほとんどです。マスコミに出るとか、政治家が言っている『ニート』というのは、『ニート』の中の遊び型とか、怠惰型の人たちです。それ以外には病気の人、怪我をしている人、精神的な病気の人、それから先程言ったように怠惰や非行や家庭環境の問題の人もいるでしょうし、行きたくても動けない人もいます。

今、私たちの農園で社会復帰、学校復帰を目指している子どもたちは、出て行きたくても行けない状態の子どもたちです。間違って怠惰型の子どもが2名入って来ました。千葉から入って来た怠惰型の子はどういう行動をするかといいますと、農園なんか全く来ないのです。私たちの農園は、子どもや家族は全て経費の負担がいりませんから、千葉から来たら私がアパートを借りて準備し、家賃を払っていく訳です。その子が来るという連絡が前日に急に連絡が入って、急いでアパートを借りて準備して、入って来てから3ヵ月の間に3回しか農園に来ませんでした。農園に来るのは、農園の仕事をするのではなく、お金がなくなって私に借りに来る時だけでした。何しているかというと、朝起きて7時ごろから温泉に入っているのです。歌を歌いながら温泉でのんびり昼まで出たり入ったりしている。温泉でご飯を食べて昼からパチンコ行って晩はお酒を飲みに行って遊んでいる。私たちの農園では怠惰型の子どもは再出発が全く難しい。 そういう『ニート』の種類とか、不登校の子どもの中にも先ず種類があるのを知っておいて欲しい。それからもう1つの知って欲しいことは、『不登校』の子どもにしても『引きこもり』の子にしても、いわゆる出たいけど出られない、働きたいけど働けない状態の『ニート』の子どもたちは、4つの特徴をもっています。これは農園に来ている子どもたちと話しても、共通して4つの特徴があります。

1.非常に繊細です。敏感なのです。物凄く感じやすくて、人の顔を見ただけでその人が何を思っているかを感じ取ってしまう。ある男の子なんか、家の中の空気で分かるといいます。それくらい敏感なものをもっている。2.非常に優しい。3.まじめである。4.能力がある。

普通皆さんや私たちが考えて、子どもがよく気がついて優しくてまじめで能力があるといえば良い子ですね。今の時代はその良い子では、学校でも社会でももうやっていけない時代なのです。そういう時代が来て、そういう子どもたちが苦しんでいる。『いじめ』で自殺する子も同じです。物凄く良いものをもっている子たちです。世の中にとっては大事な子どもたちが動けなくなり、犠牲になっているというのが、今の日本の社会だろうと思います。

以下に幾つかの事例を出しますが、プライバシー保護のため、いろいろとアレンジします。

1.僕って 生きていていいのですか(20歳 男性)
この男の子は私に、「僕って生きていていいの?」と言ったとき、「自分は生きている意味がない。誰からもぼくは生きていてもいいとは思ってもらえていない。」、そうなのだろうということを相談に来ました。

(1)小・中・高校といじめが続く この子どもはどんな『いじめ』からそうなってきたかというと、小学校の5年から『いじめ』られ始めました。小学校5年、6年といじめられて、中学校3年間もずーといじめられて、高校は1年で退学しました。その『いじめ』の内容は、ひどいときは服を着たまま川に放り込まれ、ずぶぬれで出てきたらまた放り込まれ、学校では蹴ったり殴ったりなげられたりしながら、毎日過ごしておりました。この子どもは、後に私に話したのですが、もう中学校3年位になると、自分はそうされるのを知って、そこまで行ったといいます。「呼ばれてもないのにどうして出て行くの?」とたずねると、もう僕なんか生きている意味ないのだから、どうなってもいいのだから、その場へ行ったらそうなるかもしれないと思っていても、行った。」と。そこまで、もう自分を捨ててしまっている状態で、出て行ったのだと言っていた。そのとき、両親も学校も“単なるふざけ”ということで処理していました。だから、周りの人はその子どもの、苦しみを全く理解できないという状態で中学校を過ごし、高校に行ったときは、学校は違ったのに相変わらず呼び出されてはいじめられ続けていたのです。

(2)自分の部屋から出られない毎日 その結果、学校を辞めたときには、家の自分の部屋から1歩も出られない状態になってしまいました。このときの悲惨な生活のトラウマがズーと残っています。今でも心の傷がズーと残ったままなのです。自分の部屋から1歩も出ませんから、食事はお母さんに持って来てもらう。オシッコも、大便も、ご飯食べるのも、寝るのも、全部同じ部屋なのです。自分の部屋にズラーと大便が並んでいる。新聞紙の上にバケツがいくつもあって、オシッコが一杯になっている。その猛烈に臭い部屋の中で、食事をし、寝ていたのです。3ヶ月間そういう生活をしていました。

(3)精神病院に入院するかどうか 両親にはどうにもならない。「おかしいんじゃないか?」ということで、精神病院に入れようとしました。

(4)私との出会い そのときに私との出会いがありました。「病院に入れる前にもう少しお父さんお母さんが頑張って一緒にやっていきましょう」ということで、両親と一緒に相談しながら取り組んでいったのですが、しばらくして部屋から出て来るようになってくれました。それでも、「自分はだめだ!」という気持ちが非常に強くなっていますから、新聞紙のチラシを敷いて自分が通る所はそのチラシの上しか通らない。食卓でもお尻は10センチ位浮かして座った格好をしている。いつもビニールの使い捨ての手袋をはいてでしか、物は持てない。そういう状態で部屋から出てきました。その子どもが今農園で元気で働いているのです。

(5)『トラウマ』から脱出するための苦しみ でもそのトラウマがまだ消えません。回復するまでが長いのです。だから『いじめ』というのはその時だけの問題でなく、物凄く長い間、子どもの心の中に残ってしまっているという1つの例です。その子どもが今少しずつ自信をもってきて、来月から自動車の免許証を取りに行こうという動きまでになってきているのです。それでも何かがあったときに落ち込んで、「僕はやっぱりダメなんだな、僕は人からこう思われてるんだな」ということで、いつもトラウマの後遺症が出てきて、過去に返ってしまいそうになっています。

2.『いじめ』の悲惨さ

(1)今、いじめられて苦しんでいる子 上の子どもの例のように、『いじめ』は、今現在『いじめ』られている子にとっては、毎日毎日が物凄く苦しい状態で、だれかに助けを求めています。でも、全部が全部言えない。

そういう状態で本当に毎日が苦しいだけではなくて、食べる物も食べれない、死にたいような思いで、死んでしまう子までも出て来るような状態で生活している子ども、それからいじめられて、もう学校へ行くことができなくなってしまってる子。

(2)『いじめ』が原因で学校に行けない子 もう1つの例ですが、私が校長している少学校に4年の女の子が転校して来ました。もちろんご両親とは相談して転校してきたのですが、転校してきたときには、骨と皮だけで本当にひどい状態でした。

(3)過去の『いじめ』が原因で引きこもっている子 その『いじめ』が原因で学校へ行けなくなると同時に、拒食症になり3ヶ月間水だけの生活をしていました。だから骨と皮だけです。もういつ死ぬか分からないと、病院までが決めていたのです。救急車で送っていく、そういう状態で転校して来てもらって、それから私と食事をする練習に入った。毎日徳島まで車で走って徳島のマクドナルドで小さいチキンナゲット2個だけ食べるのです。それも晩の10時です。10時に閉店しますので10時1分前に窓口に行きます。誰かに見られないか、何か言われないかということで、1分前に店に入ります。駐車場で2人が分けて食べるのです。それで、夜中の1時頃に帰ってくるのです。毎晩、毎晩、2人で徳島まで通いました。だんだん、だんだん食べる量が増えて、少しずつ体が回復してきたのです。

(4)家族の苦しみ この子は小学校を卒業して、今中学校1年生になっていますがまだ苦しんでいます。その苦しんでいるときには、お母さんに包丁を突きつけて、「あの子たちを殺さないと、私がお母さんを殺すぞ!」と言って、お母さんの髪の毛をつかんで引きずり回したりするような時期もありました。本当にただ単に学校へ行けないだけではなくて、いじめられた子どもは家族も含めて非常に辛い状態に陥ってしまった例です。

今だから話せること―学校の知られざる実態

私の農園に来ている37名の子どもたち、出て行った子どもたちも含めて、『引きこもった子』というのは、ほとんど不登校の経験をしています。それからほとんどの子どもが『いじめ』にあっています。子どもによっては目の高さより上は見たことがない。小学校の頃より、ここから上は見たことがない、いつも下を向いて歩いていた、教室でも下しか見てなかったと言っています。

それにいじめられた経験をもっている子どもから不登校になって、不登校の子どもが『引きこもり』になっていっているのが現状です。200万とか250万の『引きこもり』とか『不登校』、『ニート』もいると言いましたが、今1年間に不登校の子どもはどれくらい出ているか、皆さんご存知でしょうか? 文部科学省が発表したのは1年間で小中学生で12万人余り出しとるのです。高校生は約18万人。高校生は今まで統計を出さなかったのが出ました。大学生はまだ出していません。今18万人と12万人で30万人はいます。ところが高校であれば、途中で出席日数・時間数が足らなくなった子どもは、自主退学という形で途中から消えています。だからカウントされません。他の機関が調べたら50万人とかいう数が出るのです。

私は学校にいたから、どうして差があるかは知っているのです。皆さんご存知ですか? こんなことは辞めたから言えるのですが、自分の学校に不登校の生徒が5人いるとしますね。5人を報告したら減らして下さいという連絡が入るのです。どうしてかと言いますと、正直に全部の学校から出たらものすごく増えます。スクール・カウンセラーを雇って努力したのに、予算もつけて動いていると言ってきたのに、そんなに増えられたら困るのです。だからちょっとだけ増える程度に抑える訳です。だから各学校へ減らして下さいという連絡が入ります。私なんかは、「そんなことはできない。正直に出す」といって断ります。これは“できの悪い校長”なのです。反対に、「分かりました、減らします。他の病気にして数を減らします。」という校長は、良い校長なのです。このように皆、調整しているのです。だから文部科学省のデーターは、事実とは違う面があるのです。それが現状なのです。だからその数よりかなり多いということ、大学生を入れたらもっと多いのです。

小中高校生だけで文部科学省が30万人、他の調査で50万人とかいう、その3割から6割以上が引きこもってくるのです。その子どもたちが、ほとんどの子が『いじめ』に会いながら動けなくなって自信をなくして引きこもってきたのです。『引きこもり』の人数がどれ程毎年増えているかということです。単純計算しても、50万であれば6割としても年間30万人増えていくのです。10年たてば300万人です。今度、堺屋太一さんが平成30年という本を書きました。あの中にほんとうに恐ろしい日本になっていくのかなというような内容が書かれています。しかし、この問題は書かれておりません。10年後に300万人増えるということは、現在の数に+ですので、5人に1人とか3人に1人は働いていない国になるということです。国は維持できる状態ではなくなっているということです。そんな大変な状態を、今は誰もが手を差し伸べてない。小野先生はじめ一部の気持ちをもっておる方だけしか動いてないのが現状です。

ちょっとこれは、話がずれますが、もっと怖いのは、我々校長で現役の時は絶対言いませんが、辞めた校長の人たちと話していると、全部本音が出ますから言いますが、「今の子どもたちの現況や学校が良くなるのはどれくらいかかるかな?」という話になって、私は30年位かかると思うと言うたのです。ほとんどの校長を辞めた人は、50年というのです。50年というのは孫の代ですね。今どんどん悪くなっているのを知っているのです。皆、今、現在も悪くなっているのは分かっているのです。

皆さんはお分かりになりにくいと思うので、1つ2つ例を出しますが、今、首相の下で『教育再生会』という組織が動いていますが、先生方の評価をするとか、それによって教員免許をなくするとか、給料に差をつけるとか、色々動いていますね。香川はその先端を行っている県ですが、一番先端は東京なのです。東京は今ひどい状態になって、公立の学校なんか維持できる状態ではなくなっています。1年間で先生が1200人位辞めます。毎年800人位が、ノイローゼで仕事ができなくなっています。非常に厳しいその制度を、全国に広げるという方向で今動いているのです。

どんなことが起こっているかと申しますと、来年から全国一斉のテストが入ります。香川県は4年前から入っています。優秀な成績を取るクラスを作ると評価が良くなる、そういう学校を作ると校長の評価は良くなる、悪ければ、東京であれば八丈島へ飛ばされるわけです。東京では評価が悪ければ、困難な難しい学校にばかり行かせるのです。それよりもっと評価が低い先生は、障害児学級へ行かせるのです。失礼なことだと思いますけどね。そういう制度でやっています。するといい成績を取らないといけないことになります。香川も4年前から既にしているのです。何人もの先生から聞くところによると、クラスで65点の成績を取っているクラスが、1夜で90点に上がるのです。皆さんどうしたのか分かります? 私は分かりませんでした。それが香川で現実に起こっているのです。どういうことかと言いますと、今のテストは答えを幾つかの中から選ぶ、マークシート方式が多いのですが、テスト中に、先生が机の横を通りながら、「君だめじゃないか」とか、「君これでいいの?」とか言って一周してくれるのです。「それ間違っているよ」と言って周っているのと同じことです。2回目周ります。直して合っている所は素通りです。まだ間違っていると、「お前何回言ったら分かるんだ!」と怒る先生もいれば、「あれ、君まだ、これでいいの?」と言っていく先生もいるわけです。3回周ったら全部合っているのです。そんなことが現実に香川で起っているのです。で、その先生は優秀な先生という評価を受けます。次期教頭、次期校長の人ですね。怖いですね。それから、そのクラスをその先生に代わって次の先生が受け持った時に、一生懸命毎日毎日教えて個人指導して、どうにか80点にしますね。平均が65点から90点にいって80点にしますね。本当の力からいうと上がっているのです。ところが新しい担任は、『成績を下げた先生』との評価になります。だめな先生に入っていきます。公平さが全くなくなっているということです。子どもはそれを全部見ています。大人ってあれで通るのだなという目で見ています。こういう方向で動いているのです。
「本を読みなさい。」「本を読ませなさい。」と、言われていますが、各学校は1人の子どもが1ヶ月何冊読むというノルマで評価します。自分が出して評価されているのです。子どもは賢いです。絵本みたいな1ページに4行位しかない本を、読んできます。それでも1冊は1冊です。まじめに難しい小さい字でいっぱい書いた好きな本を読む子どもはだめな子どもになってしまいます。そういうことを、今、している訳です。だから悪くなっていると思っているのです。ですから今子どもたちが学校へ行けない、『いじめ』が多くなる、荒れる、もう予想もできないような事件が起こるというのは、子どもの心なんて育っていってはいないということだろうと思います。それが現状なのです。それから具体的ないくつかの例でお話します。

3.『いじめ』との出会い

『いじめ』にあったいくつかの例の中から、主なものを上げました。先生のときと、教頭のときと、校長のときとでは、それぞれ対応が違うということをお話します。

(1)教諭時代の『いじめ』(中2男子) 私がまだ30歳過ぎの先生で、ある中学校で勤めていたときのことでした。クラスの男子1名を除く全員が1人の男の子を毎日殴ったり蹴ったりという暴力を振るっていました。私はそのクラス担任ではありませんでしたが、当時体育の教師をしていましたから体育の授業に行っていました。それと、そのいじめられている男の子が、私のソフト・テニス部の部員だったいうことで知っていたのですが、お母さんから、「先生、うちの子がいじめられてあざだらけになって帰って来るけど、なんとかして欲しい。」という願いが来ました。母親が担任に言うと、「この子みたいなできの悪い子どものことでよう言いに来ましたね。」と言われて、母親は何も言えなくなりました。だけど、どうにかして子どもを救って欲しい。」という思いで私のところに頼みに来たのですが、こういうときはいとも簡単です。そのクラスへ私が授業に行って、「この子が皆からいじめられている。叩かれたり、殴られたりしているというのを聞いたんだけど、正直にしたことがある人立ってくれるかな。」と言うと、同じテニス部のキャプテンしている男の子以外全部が立ちました。そこで私は、「皆有難う、正直に言ってくれたな。ただ今日からは、したら許さないぞ、そういうことを聞いたら許さないぞ。」と一言だけ、それだけで終わりました。これは、背景には私と子どもたち全員との信頼関係があるのが分かっていたのです。安心感や信頼関係が充分できてから言えば分かってくれるのだろうということです。だから学校という場での教育は、親子の間でもそうですが、安心できる、信頼できるという条件がなければ成り立たないという1つの例だったなと思います。

(2)教頭時代の『いじめ』(中1女子) 教頭のときですが、この学校は非常に荒れていまして、先生がしょっちゅう殴られている学校だったのですが、暴走族が学校の中を走り回っているし、学校の器物は壊されているという状態でした。そういう荒れた学校を直してもらいたいという要望で行っていた学校です。その荒れというのは1年余りで良くなったのですが『いじめ』はそんなにかかりません。ある1年の担任から、「教頭さんどうもうちのクラスの女子の中に『いじめ』があるような気がする」と、「あの子がいじめられているような気がするどのようにして解決したら良いのか分からない」ということで、連絡がありました。じゃ私がやってみるからそれを見て一緒にしながら覚えてくれるかなということで入りました。で、後でも出てきますがいろんな方法によって『いじめ』をなくす状態を作っていくのですが、そのクラスにある『いじめ』自体1ヶ月余りで終わったのです。

ところが、それが分かったとたんに、他のクラスや学年からたくさん助けてくれという求めが入りました。これほどあちこちに起こっていたのかなあという驚きでした。このことから、子どもたちは本気で対応してくれる人を必死で求めているし、待っているということがよく分かりました。教頭としては、学校全体のことではいくらでも動けます。先生の中に入っていけます。先生同士では入っていきにくいのです。隣のクラスの先生、よそのクラスには、それはしにくいのです。教頭になった場合は学校の中だけは全部できます。次々と助けを求める声が入っていきました。

(3)校長時代のいじめ(小5女子) 校長になり、私が赴任したときには、前任の校長からそういう報告を受けてなかったから、静かな穏やかな学校と思っていました。『いじめ』なんかあるとは思ってもいなかったのですが、猛烈な『いじめ』があったのです。その『いじめ』が毎年起こっていたのです。最初、私と一緒に転入した先生が、「校長先生、どうも私のクラスの中で女子に『いじめ』があると思うので、確認して解決したい。」と言ってきた。それならどんな状態か、できるだけ早く状態をキャッチして行こうと、取り組み始めました。子どもたちと、『自分たちの住んでいる町の探検』とかいって校外に出ますと、お婆ちゃんやいろいろな人に、『校長先生!』と言って呼び止められます。何かなと思うと、「校長先生、私は学校を恨んでいます。」と、こう言われるのです。「どうしたのですか?」と問うと、「内の子がどれほどいじめられたか。学校は何もしてくれなかった。もう学校は絶対信用しない。恨んでいる。」と、こう言われるのです。何人もの人から言われました。その『いじめ』があるという報告が来ると、私は直ぐ動きました。調査をして『いじめ』があるという判断の下ですぐに動きました。そのクラスだけではなく、全PTA会員に集まってもいました。集まってもらって、「私の学校に『いじめ』があります」と、はっきり伝えました。プライバシ−に関することは出しませんが、事実を全部公表していきました。これは大事なことで、事実を、情報を公開するということは、私が責任を取りますという意味なのです。結果の責任を取りますという意思表示なのです。子どもたちにもはっきりと伝えるわけです。『いじめ』があるのに『いじめ』がないなどとは言いません。

先日、ある町へ講演に行ったときに、あるお母さんが言いました。「内の娘が学校でいじめられている。校長先生や担任にどうにかして欲しいと言っても、『いじめ』はない、してないと言う。教育委員会に行って、どんなにしたらいいのだろうと問うと、学校を替わったらいいと言われました。どこの学校に行ったらいいのですかと言ったら、自分で探せって言われた。」と、そう言っていました。ほんとうに相談できる所はなかなか無いということなのです。その学校の校長さんは、最後まで『いじめ』が無いで通したのです。そのお母さんお父さんは、いじめた子からその子に対して謝りの手紙が来ていましたから、いじめられた事実を知っていたのですが、学校は最後まで表に出さなかったのです。

学校はなぜ『いじめ』を表に出さないかというと、いろんな所で自殺がありますが、教育委員会が『いじめ』とは確認できないとか言いますが、賠償責任が出た場合市や町は多くのお金を出さないといけないからです。『いじめ』として認めるのはよほどでないと認めるという姿勢はとらないのです。だから学校でも『いじめ』は表に出すなという指示が出ます。だから校長は何かもやもやした言い方をしています。それは校長自身の判断というよりも上からの指示が出ています。全部ではありませんが、そういう指示が出てくるということが1つあります。それから、『いじめ』という報告はできるだけ出さないようにという指示があったのです。(今の校長さん方は全部出せ出せと言われているのです。−この部分は前後と矛盾?)そうやって大人たちの社会が、子どもたちを完全に無視して、自分たちの都合の良い事をしているということです。だから、子どもを本気で守れないという状態にあることを、子どもは分かっていますので、大人は当てにしないということになります。ところが反対に、情報公開して、子どもに校長以下全教員が正面に出ていきますと、子どもは変わるのです。お父さんお母さん方も、校長や先生方も、全ての大人たちが前面に出てくるとなると、子どもは抵抗は最初しますけれど、これではだめだと分かります。するとその『いじめ』が解決するだけではなくて、2度と『いじめ』を起こらない学校になります。大事なのはそこなのです。情報を公開してあるということを認めて、解決するぞという意思を見せて動き出せば2度とその学校には『いじめ』が起こらないのです。『いじめ』を隠せば、学校は何もしないのですから、子どもたちにどのようなメッセージを送ったかというと、「いじめてもいいよ」というメッセージです。  

それが先生の場合は、自分のクラスや授業に行くクラスでは『いじめ』に対応できる、教頭は全校対象に対応できる、校長は『いじめ』のない学校を作れるという、それぞれの役割があるだろうと思います。

4.教師はいろいろな役をこなさなければ

それからこれは、今日おいでの方は教育関係の方も保護者の方もいろいろなな立場の方がおいでと思いますが、皆さん共通して、教師だけではなくて、家族としても、子どもに接する場合には最低7つぐらいの役を演じてもらわないといけません。(1)父親としての役 当然父親としての役割とか、(2)母親としての役 母親としても役割とか、それから(3)教師としての役 教える立場の役割だとか、(4)兄や姉としての役 それからもっと具体的に話を聞ける兄や姉やという身近な役割、それから、(5)警察官としての役 いけない時には警察官みたいに厳しさがある役割だとか善悪をきちっと示す役割、(6)裁判官としての役割 それからそれをきちっと判断して何が問題で、何がだめなのかを判断する役割、(7)弁護士としての役割 それからあくまでも人間としては守ってくれる弁護士的な役割、そういうようなものをその場面、場面で使い分ける必要性があります。大人たちが前面に動けば、子どもは安心して取り組めるし、また大人たちがそういう状態にあれば『いじめ』は起こらない子ども集団になっていけると思います。川村先生といってこの頃時々新聞やテレビで見る、専門的な検査でQUというのを出してる人ですが、その検査をすると、「このクラスには『いじめ』がある」と、ぱっと出てきたのです。「学級崩壊になる」とかいうのも出てくるのです。そういうような検査を作った方ですが、今言ったように「場面、場面でアレンジできる先生にならなければいけない。」とおっしゃっています。

5.『いじめ』をなくすための欠かせない条件

まず『いじめ』をなくすための絶対的な条件があって、具体的な方法があると思います。

(1)人をこよなく愛し、大切に思う人間であること まず人が好きだという人でないとだめです。自分の子どもだけではなく、子どもが好きだという思いをもっていることが大事だろうと思います。

(2)正義と公平さがあり、さわやかな集団であること 公正さや正義ということをきちっと示せる人でないといけない。同時に、ネチネチといじめるようにするのではなくして、さわやかな集団を作っていける、さわやかな姿勢を見せられる人でないといけないなと思います。

(3)自分をアレンジできること いろいろな役割を演じるだけの力がある人。

(4)規則ではなく、子どもの心を分かろうとすること 今、現在、学校やいろいろな社会の問題ですが、規則で物事や人を見ないようにしないといけない。例えば学校であれば校則があります。私は教頭時代なんか、長髪を許可するときに、真先に反対するのは先生方でした。「どこまで許可するのですか?」と、言ってね。そこで、いつもポケットに櫛を持っていて、子どもに櫛を当てて、前髪が眉毛にさわったらだめだというのです。 

これは規則で子どもを見ている先生で、子どもの心を見ていないのです。子どもの心の中にどんな喜びや、悲しみや、苦しみがあるのか、そういうものを見ていないで規則でしか物事や人を見ないというのは、その組織自体が、国だろうと、小さい組織だろうと、会社だろうと、だめになっていく集団なのです。

このように規則で物事を見た場合は、人の心や子どもの心が見えなくなります。規則いうのは皆さんの常識も入ります。世間体とか常識も一緒です。よく言われるように、学校へ行けない子ども、いじめられている子ども、家に引きこもっている子どもに、「それはだめだよ。世の中はこうなっているのだから」とか、「世の中はこれが常識だよ」というのは、子どもにとっては非常に納得できない。常識いうのは良いことではないのです。間違いとは言いません。だけど常識で動いていると自分が無くなります。「こうなっているから、するのだ」ということです。「私はこうしたい」というのとは違います。大事なのは、「私はこれはしない」、どんなに厳しい条件でも、小野先生みたいに批判されても、「私はこう生きる」という、それが良識です。常識というのは、「批判されるから止めよう」、「誰かが犠牲になっても、子どもが犠牲になっても、隠しておこう。」というようになってしまいます。

だから、規則とか常識とかにとらわれない、相手の人間が見える力をもっている、そういう人でないとだめだということです。こういうことを大事にするのが、前提だろうと思います。

 6.いじめの解決なんて簡単

家庭と学校などの集団の場合とは少し違いがあります。家庭であれば、自分の子がいじめられているというのは、チエックすれば直ぐ気づくことができるのです。いじめる子たちは、他の人に気づかれないような場所や、いじめ方をします。それから脅すことによって、言わないようにさせます。ところが子ども同士では、皆直ぐ知るのです。子どもたちが知るのは物凄く早いのです。
 
 (1)   情報の早期キャッチ 1つは子どもの中から報告があがってくるだけの信頼
  を持てる人
がいるかいないかいう事があります。それから教師、家族、関係者から見てもそうですが、いじめが始まりだしたときには、子どもに必ず変化が起こります。顔色が悪くなる、元気がなくなる、学校へ行くのを渋る。忘れ物をよくする、成績が急に落ちる。そのときには、先ず『いじめ』を疑ってみて、チエックに入らないといけない状態ということです。子どもは知られたらまた『いじめ』を倍にされるかもしれないという恐怖感が出ますから、できるだけ隠そうとしています。が、直ぐそれは分かります。

@     定期的な検査―『いじめ』のアンケート、QU検査など それから学校のような組織の場合は、定期的な検査をすればチエックはできます。

A     子ども・家庭・仲間などからの情報収集 私などがするのは、毎学期、3ヶ月に1回ずつ友

人関係の調査と、もう1つは簡単なチエックをします。名前を学年も男女別も一切書かずに、『いじめ』が現在あるかないか、見たことがある、されている、している、今までに見たことがある・ないというような、簡単に○印をつけてもらうだけで全部出てきます。1人いうことはありません。『いじめ』があれば何人かから出てきます。だから客観的な情報と(ここ不明 穂と空は?)言ってくる情報との両方を入れればほぼ早くチエックができるでしょう。

(2)『いじめ』の可能性がある場合 『いじめ』があると判断される場合、そこからが大事です。@完全にガードし、いじめられる場面をなくすこと まず1番目にしないといけないことは、学校であれ家族であれ、申し入れてでもしないといけないのは、いじめられる場面をなくする事です。家を出て家に帰るまでには、絶対監視がついている状態を作るのです。家から学校へ入るまでは家族が必ずついて来る、もしつけなければ学校側が迎えに行く、学校に入ってからはどこを動いてもいいが、いじめられる子が動く身近には必ず先生が配置されているという状態を、完璧に作っていきます。これは、1つはいじめられない状態を作るということと、いじめをしていたのであれば『いじめ』をしている子どもたちにストップをかけているという2つの効果があるのです。それを完全にしてしまいます。すると『いじめ』は止まった状態になる。ここからがスタートです。

A本人を含め、情報の収集・・・シビアに、必ず解決する意思を見せて 次はいじめている子どもたち、いじめられている子どもに、個人もしくはグループで来てもらって話をします。事実を確認します。ここまではカウンセリングは一切使いません。「君たちはいじめているんだってね」と、はっきり言います。そこは遠まわしに聞くとか、色々と気を使う必要はなくて、「色々なことを確認したのだけど、君たちはあの子にこういうことをしているんだってね。」とい言います。

B   いじめている子どもへの聞き取り(カウンセリングの活用) それを1つ1つ確認し、それが確認できて『いじめ』と認められる状態になれば、そこから先の指導にはカウンセリングを入れていきます。そのいじめいている子自身の人間までは否定しない。行為はだめだということとは分けていきます。

C    (例)グループで、個人で 先ほどの中学校1年女子の場合などは、グループで5人位が呼び出したり家に行ったりとか、学校の中とかで、いじめていたのです。私は、もうはっきり言います。「君たちはあの子にこんなことしたのだってね。呼び出したのだね。何の話があったの?」と、言います。それはもうそのままです。「ふん、あの子腹立ったから呼んだのや。」「どういうことに腹立ったの?」と。それをずっと掘り起こして聞いていきます。その掘り起こして聞いていく中で、子どもたち自身はどういう意味だったのか、相手はどんな思いをしていたのかということを、全部感じながら話し合いをしていきます。

グループだと、その中の1部の子が、「やっぱり、あれはまずいと思ったぁ、あの時に・・・」 と言うと、他の子が、「どうして? あの子腹立つわよ。」とか言う。「だけど、私もあんなことされたことがあるけど、厭なかったかなぁ。」とか、「ああ、そう、やっぱり厭なかったの?」 とこう言って、「もし君もやられたら厭なことない?」とか言って、こう話してくれる。「それ自体も問題だよ。大変なことしているのだね。」と、こちらが言う。気がついていれば子どもたち自身で解決していくのです。怒られて止めさされて解決していくのではなくて、そのような話し合いというのが、子どもたちとグループで話すときには、要ると思います。その子どもたち自身のときには、この先生とは話しても安心して言えるんだという環境を作りながら話し合いをしていくというのが、カウンセリングの1つの方法だろうと思います。

D 毅然とした態度で、学校・家庭など全てが取り組むことを見せる 問題が出れば、場合によっては両方の家族にも事実を伝えて、家庭での教育を仰いでいく。子どもに怒らないようにしながら、どのように家族で子どもを、両方の子どもを支えられるかいうことについて、私たちと一緒に取り組んでいきます。

最後に残るのが、傍観者であった、知っていても何もしなかった周りの子どもたちへの指導が要ります。これが終わらないと終われない。そういう時は、「先生は、大人は動くから、皆も許さないようにしていこう。」と言える。行動できるような子どもたちのグループを作る。集団を作るということができて初めて『いじめ』は終わりになります。

だから『いじめ』は1ヶ月もあれば終わっていきます。子どもは物凄く楽になるのです。そうして、両方共がもっともっと良い子に変わっていきます。だから学校は、目をつぶったり、問題を避けたり、『いじめ』はないとかいうことでなくて、正面からぶつかっていってあげれば、子どもたちは安心して変わっていけるだろうと思います。

家族の場合には、そこまではできません。家族の場合には、学校にはっきりと申し出ていって、動いてもらうということが、先ず第1番です。ところが先ほどのように、『いじめ』はないといわれると・・・。私の知っているある中学校なんかは、子どもが3度自殺未遂したのです。本当に自殺しようとしたのです。お父さんお母さんも必死だったのです。学校にも何度も訪ねて行って、子どもを救ってくれと頼んできたのです。その都度、校長は、「学校には『いじめ』がない」と言い、突っぱねていたのです。お父さんはたまりかねて、お父さん自身がPTAの副会長をしていましたから、全部のPTAに応援してもらおうと、PTAの全会員の前で土下座して、娘を救ってくれと泣いたのです。そのときに校長が立って、「ここはそういう話をする場ではない。学校には『いじめ』はない。だからそういう発言はこういう場ではしないでくれ。」と言って、これで終わらせたのです。 

だから、今の社会には、いくら一生懸命言っても助けてくれない学校、先生、管理職もいるということです。学校に言って一生懸命してくれる学校だったら助かります。だけど、今言ったように何もしてくれない学校だったら、次に何をするかというと教育委員会に行かないといけない。その教育委員会も市町村はだめです。市や町の教育委員会へ行ってはだめです。県の教育委員会へ直接言うことをしないといけない。県へ行ったら、必ず一生懸命してくれる。各学校には絶対にこういう『いじめ』の報告が来たと、連絡します。そして、事実を調べて問題があるのだったら対処して下さいと、指示が出てきます。

その前にもう1つの方法があります。個人が行った場合、学校は動かないということです。個人ではなくて集団で、仲間が、PTA会員皆が一緒に動いてあげないといけないというのがあります。個人で動く場合はよほど有力な人の家庭です。そういう場合は、動く人が結構あります。有力者でなければ動いてくれない。その場合は、先ずPTAの集団として、仲間として皆が立ち上がってあげる必要があります。それでもできなければ、さっき言った県の教育委員会です。私であれば、県の教育委員会に言うのであれば、同時にもう1箇所に言います。それは何処か言うとマスコミです。今日も取材に来てくれていますが、マスコミの力を借りないといけないのです。ニュースとして流れなくてもかまわないのです。取材が来たとたんに、態度が変わります。だから皆さんそういう情報が入って、いじめられている子どもで困っているといえば、そのマスコミにいうという方を取れば、学校は一生懸命するのです。だから先ず個人で 言って行く、どうしても動いてくれない場合は、仲間でPTA全体が動くものを作っていく。それでもだめだったら県の教育委員会に言います。同時にマスコミにも言います。マスコミに知り合いがいなければ、それこそ小野先生や私が協力します。いくらでも協力できます。このようにしていけば子どもは救えます。それしかありません。
 もう1つ子どもを救えるのは、子どもが家に帰ってきたときに、どんなに辛くて苦しくても守ってあげるということを必ず伝えてあげるということです。

最後に、私はよく学校で聞きますが、「学校は忙しい」とか、「いじめなんかに手が回らない」というのが、ほとんどなのです。だからいじめられているという情報があっても、学校は動かない。学校を休んでいても対応しないという場合が多いのです。事実は、1人の子も救えないのだから学校は何も解決する力がないということです。

7.最後に

1人の子どもでも救ってあげられる学校を作って行く、それによって学校全体が落ち着いて良くなるのです。それをここに3つあげます。

(1)一生懸命にする人は、どうにかする これは皆さんの身近な場合、学校もそうですが、一生懸命解決しょうとして努力する人は、必ずよくなるのです。

(2)少ししか努力しない人、しない場合は人のせいにするのです。学校だであれば、あの子が悪いからいじめられるのだとか、いじめられる子にだって原因があるのだとか、あのお母さんお父さんの子であったらとか言って、他人のせいにするのです。

私が先ほど言いましたように、私が校長しているときの『いじめ』の場合、全PTA会員の前で、「学校に『いじめ』があります」と言います。「なぜ『いじめ』と判断したのだ?」と言われれば、「こういう調査によって、こういう状態だから『いじめ』と判断しています。」と言います。ただその他の職員、クラス担任までは出ていないのです。出ているのは校長と教頭だけです。そんなところへ担任を出して苦しますというようなことはしません。何故かといいますと、学校の責任者は校長ですから。人のせいにするというようなことはしないという姿勢です。親のせいにする、子どものせいにする、それでも解決しなければ、次の順番は先生が悪いというところに行きますから。

企業でも、集団でも、学校でも一緒です。トップが責任を取るべきです。だから全部自分が前面に出ればいいのです。だから、「なぜ、先生が来てないのだ!」と、こう言われますと、「私が責任者だから」と、答えます。もっと具体的な例を挙げます。皆さんパンを買って不味いと、パンに向かって怒る人いますか? 「お前、不味いじゃないか! 何でお前不味いのだ、もっと美味くなれ!」と言って、怒る人いますか? そういって怒るのは、子どもに言っているのと同じです。パンの店へ行って、「作った人だれ? あんたが作ったの?」と言う人いますか? それは担任に言っているのと同じです。皆さんはだれに言って行きますか? 店の主人に言いますよね。では、学校で店の主人はだれかといえば、それは校長です。だったら校長に言いなさいということになります。それが役割なのです。だから一生懸命努力しようとして、そのようにすれば解決する。

(3)何もしない人は言い訳をする 全くやる気のない人は、言い訳ばかりしている、ということになるのです。皆さん、一人ひとりが子どもたちのために、これからの日本の将来のために、力を合わせて一緒に学びながら、マスコミの人にも、色々な関係者にも助けてもらいながら、子どもたちに希望や夢がある、そういうものを示してあげれるような大人になっていければなあと思います。一緒に頑張っていきたいと思います。有難うございました